10月18日(日)蟋蟀在戸(戸口でこほろぎが鳴く頃)。塞翁が馬的コロナ観とは。

 曇りがちな晴れ。11℃~20℃、63%。北風がつべたい。5500歩。

 

 コロナで露わになったもの:

 潜在していたものがイロエロと顕在化したのもコロナの影響の一つです。サプライチェーンの問題はグローバルな分業に一石を投じました。更に全世界が等しく影響を受けると言う見地からは、それまで各国でローカルにやっていたことがグローバルに比較考量される事態となり、政策の適否が結果によって目にみえるようになりました。

 すかす一番見えてきたのは、新しい全体主義自由民主主義との相克でしょうね。特にディジタル全体主義といわれるものが疫病撲滅の初期において活躍しました。これは中国のような例もあるし、台湾のような例もありますが、どちらも全体を統制して自由を束縛するものです。文化習俗的な全体主義も見えてきました。こりは「世間の空気」を通して全体を統制するものです。

 いずれにせよ新自由主義的な自己責任において格差を拡げる社会の疫病耐性の弱さが現れたのもコロナ下のことです。医療先端国家だと思われていた欧米で野火のようにコロナが拡がったのは、社会の格差が大きかったせいです。いくら金持ちが高額医療を受けられても、貧しいエセンシャルワーカーが無保険で医療も受けられないと疫病がまん延してしまうということです。これは社会に脆弱性を齎します。

 ま、これを契機に効率一辺倒のGDP主義が少しでも見直され、お互いに支え合う方向に行ければ、少しは災い転じて福となすことができるのかな?そしてニューノーマルにはニューモラルが必要となるでしょう。自己保存(我が国、わが身最優先)の抑制と他者との支え合いが無ければ共倒れのリスクが増大します。まずは小さなコミュニティの復元から!つうような社会主義が勃興するかもね?多数絶対主義の似非民主主義から脱して、個性と多様性(国単位で言えば、ローカルとグローバル)の共存というのが増々重要になる予感!