4月14日(火)虹始見、虹が現れ始める頃。無常観。

 北風つよく快晴!6℃~17℃、30%。富士山が良く見えました。空気乾燥!

 

 

 時間の濃淡とは:

 意味の濃い時間と意味の薄い時間というのは確かにあります。集中して充実した時間と、だらだらと何気なく過ぎ去って行く時間と言い換えても良い。そして意味の濃さは今ここからの時間距離によっても変わっていくんだすぅ。

 今ここはまさに意味に満ち溢れている濃い時間の場所。そこから過去、未来に向かうと誕生と死亡で一応、人生は区切られます。すかす歴史と文化の継続性によって、その外に出れないこたーない。そこは時間距離に比例して意味が薄まる空間。

 例えば百年後くらいならまだ子孫ややった仕事が残っているかもしれない。千年後になると、その時代の偉人の事績くらいしか残らないでしょう。1万年後なら過っての文化の痕跡くらいしか残らないでしょう。百万年後には人類はいないかも知れない。1億年後は全く違った生物相になっているでしょう。10億年後は生命自体が地球から無くなっているかも。100億年後は地球も太陽もないでしょう。この段階では、今ここの意味体系自体は胡散霧消しております。

 ですから、我ら人間は今ここを充実して生きてしむしかねーんだすぅ。(少しハイデガーの死への先駆に似てるかな?そりともニーチェのタンツエンなどにも?この項、続くかも。)

 

  ちょっつ備忘:

 やはし何と言っても、行政のトップである内閣官房に、我々庶民が知りえない情報が詳細に集積されているだろうことは、想像に難くありません。ですから内閣のやることに、やいのやいのといちゃもんを付けることはある意味僭越の誹りを免れまい。反面、彼らの行動の後を辿れば、実際にどんな情報に基づいて行動しているのかを窺い知ることもできます。

 官僚的姑息さとは、明示的に指示するのではなくして、手続きの複雑さを以って意図する行動に誘導せんとすることです。例えばオリンピックを控えてコーヴィッド19であんまし騒ぎたくないときは、pcr検査の要件を複雑に設定して感染判明の数をできるだけ絞ろうとする。この隠ぺい意図は図らずもクルーズ船を見分した岩田医師により白日の元に晒されたのでした。また、庶民にあんましお金をあげたくないときは、その要件を複雑怪奇にして、申請してもなかなか貰えないようにしたりします。

 これらの行為から、政府はかなーり財政逼迫しているのではないか?と推測されます。そーでなくては悪意しか感じられませんからね。日銀が株に投資したり年金資産を投入したりした結果、株の暴落でかなーり損失が出たりしてるしね。その為かこのコロナのどさくさで年金支給75歳法案なんて検討してるらしいし。

 しのぶれど色に出にけりわが財政 お金無いのとひとのとうまで