12月4日(水)闘争か逃走か?闘争か共生か?

 快晴!6℃~15℃、34%。夕空にうっすらと半月。

 「秋の日のヴィオロンのためいきの 身にしみてひたぶるにもの悲し」。落ち葉に降りかかる黄色い陽射しが目を射る。

 

 世界観について:

 この世界のありようを「闘争」とみるか「共生」と見るかで、その生き方が全く変わってくることがあります。もちろん生物にはこの両面が含まれていますが、どちらを主軸としてとらまえるかですね。

 進化論をラディカルに捉えれば「適者生存、自然選択」などの闘争的な進化観になりますが、実際は細胞の成り立ちから、多細胞生物の体内共生や、動物と微生物、さらにバクテリアとの共生、花と昆虫の共進化など「共生」が主役をつとめていることが見て取れます。

 人間の生き方でも「闘争」を主体に世界観を醸成すると戦争が絶えなくなります。ヒットラーの「我が闘争」が有名ですね。一介の画家志望が独裁者になったのは、その闘争的な世界観が原因です。すべてを戦いに見做せば、勝つためには何でも許容できちゃうんですね。味方を欺いても、人々を嘘で誤魔化しても、すべては情報戦に勝つためだと、良心の痛みを阻却できます。あんな人たちに勝つことがすべてを凌駕して、自己目的化してしまうんです。ある種、怖ろしいことですね。すべてとは言いませんが、こんな価値観が残る限り、この世界から戦争はなくならないでしょう。ザンネン

 でもこの世界には、常にある割合で「世界と共生」して行こうという人々がいたから、徹底的な破滅には至らなかったわけです。闘争と共生は、あざなえる縄のように絡み合ってこの世界を構成していると見るのが、現実に近いのかも知れませんねぇ。ども。(マキャベリストたちの心象風景がどーしても分らない仮説より)