10月31日(木)神無月も今日まで。ハロウィーン。足るを知るとは。

 晴れときどき曇り。14℃~22℃、61%。ハロウィンと渋谷・原宿の相性がいいのはコスプレつながりなのかな?つうことは秋葉原、お台場でも盛り上がるのでしょうか?

 

 

 足らざるを以て足るを知る:

 健常とは障害の対義語として使われるが、まことに思い上がった言葉ではあるまいか?常に健やかとは何ぞや?そがいな者がいるわけはなーい!人は時に病み時に苦しみ、その中でもがきながら生きがいを求めていくもんなんであーる。そもそも障害なんつう言葉が顰蹙もんですね。差し障りがあって害する者なんて酷い言いぐさですよね。少なくとも個性的な選択的発達者くらいにとどめておけばいいのに。ザンネン

 でこぼこな個性ということは、イイとこもあるしワルイとこもあると。イイとこを伸ばして行ければ幸いで、ワルイところは運命とおもてあきらめが肝心。こんな生き方をしてる人を大勢しってます。視覚変性で視力がだんだん落ちてきて、今では明るさしか分らない人はすごく明るかったです。「見えないということは一種のシャッター効果で、人の嫌な顔や悪い面を見れないからいつも前向きでいられます。」なんてゆってたし、聴覚の不自由な人は、「手話って選択的に見れるし、遠いとこの人と会話もできるからコミュニケーション能力があがります。」なんて、普通の(普通ってなんじゃ?)人には分らないメリットを語ってました。

 じっとしてられない多動症の人は、物事の切り替えが早いし、文章の能力がある人が多いんだって市川拓くんがゆってましただ。ダウン症の子供を持った親は、当初は戸惑ったが、その天性無邪気な存在に物凄く癒されるようになって、今では皆に紹介しているんだって。手足が少ない人も、それを個性だと思えばその制約範囲で活躍して世界記録にも挑めます。その人たちにとっては、それが本来の姿であって、制約でもなんでもないんですから。乙武さんだって、もともとそれが当たり前だとおもて育ってきたから、大人になっても普通の(普通ってなんだ?)人と同じようにワルイこともすればイイこともする人として暮らしています。

 つうことで、彼らを特別な目で見ないことが、我々自身のイロエロな特徴を赦すことにも繋がるでしょう。なぜなら欠点の無い人間はいませんから。どもども。

 

 備忘:老子曰く、欲はその限りを知らずと。

人を知る者は智、自ら知る者は明なり。人に勝つ者は力有り、自ら勝つ者は強し。足るを知る者は富み、強めて行なう者は志有り。その所を失わざる者は久し。死して而も亡びざる者は命永がし。」

(人を理解する者は知恵があるが、自分を理解する者はもっと明敏である。他人に勝つには力がいるが、自分に勝つには本当の強さがいる。満足できる者は本当に豊かな人間であり、努力を続けれる人はそれだけで既に目的を果たしている。本来のあり方(本当にやりたいこと?)を忘れないのが続けれるコツである。死にとらわれず、ありのままの自分を受け入れることが本当の長生きなんであーる!)