10月11日(金)読んだ本、半分も覚えていないんだすぅ。ショボーン

 曇りのち雨ふったり止んだり。16℃~22℃、88%。巨大台風の足音!

 ビーテレに煽られて、ベランダを整理し、風に煽られて飛びそうな物は室内に移す。風呂に水を張る。備蓄食料を買い出し。懐中電灯を点検。などなど台風対策に費やす。でも来ないでほすいだすぅ。

 

 本棚の背表紙を眺めながら:

 この世界には言葉で写し取れないものの方が多いような希ガスる。言葉は世界のほんの一部を切り取ったものだし、切り取り方も人それぞれ。でも、言葉がなければ考えられないようなキモスるし、言葉はそれなりにコミュニケーションの役に立つ。でも、それは発信者ー受信者間に多くのノイズ(誤解?)を孕むものである。

 大きな図書館に行くと、その膨大な蔵書に圧倒されます。それでさえも世界のほんの少ししか記述していません。でもその蔵書の0.01%も読んでない私は如何に物を知らない者か。嗚呼、無情!こりは、すべての知識に頼る人間の矛盾なり。昔の偉人は今の高校生ほどの知識もあーりまへん!では、なぜ偉人なのか?それは単なる知識ではなくして、自分で考えていたから。

 では、自分で考えれば偉いのか?そりはそーではありまへん。その時代の基本的な知識は吸収した上で考えないと、先へは進めません。時代時代の空気とか土台というのは確かにあって、思想や科学の発展はその上に築かれます。学びて思わざれば即ち暗し、思いて学ばざれば即ち危ふし、とか。でも、昔の大哲学者は知の大本は「無知の知」なりと言へり。即ち自分は如何に世界を知らないのか?知りたい!知りたいっ!つう渇望なんですぅ。ども。

 

 極端なカルトに嵌まった人を見ると、「あいつ馬鹿だなぁ~www」とバカにするだしょ?でもこりは科学者や政治家を含めてそこらへんにいる人々も、自分も含めて全ての人々に当てはまることなんですぅ。なぜなら、人間は「思い込み」の動物なんすから。・・・少なくとも知的な人間を自称(いや内心で思ったり)する者なら、1日1回は「わたしはホントに正しいんだろうか?」と自問するくらいの謙虚さがほすいもんだすぅ。ん?わだす?いや1か月に1回もそがいな瞬間はありまへんだすぅ。どんもどもども。