7月5日(金)時間の空間化は誤解の元?

 概ね曇り、夜少雨ぱらぱら。19℃~25℃、73%。健康診断に行く。心臓には自信があるんですが、脳と肝臓が気になりまふ。最近飲み過ぎだから、肝腎の肝臓がちょとしむぱい。ついでに咳の薬をもろてきた。

 

 音楽と時間:現象学的考察。

 現象学というのは、あらかじめ刷り込まれた先入観や学習した原理などによらず、意識に上ったもの(現象)だけに基づいて「存在の意味」を探求する哲学の方法論といってもエエでしょう。

 そして現象学の始祖と目されるフットサルいやフッサールは、時間について現象学的に考察しておりまふ。ま、シンプルに述べれば現在しかなーい!と。近代人は時間を空間化して把握してます。例えば時計の針の動き、砂時計の積もる高さ、日時計の影の動きなどなど。がっこでは直線上に左から右に進む座標なんかで説明されたりしまふ。

 すかす、ホントの時間はそんな横から見た客観的なものではなくして、その中に取り込まれて縦に動いてるんすよ。そこで、過去把持、原体験、未来予持が縦方向に沈み、積みあがった構造が考えられると。こりはBlogで絵が描けない拙にはちと説明がむずかすいですが、音楽のメロディーをどう認識しているかで考えると分かりやすい。

 音楽は過去の音が階層的に把持され、すぐ未来に来そうな音が予想された総体としての現在だけで構成されてるんだと。現在の音だけでは、まるで無響室に吸い込まれる音の列のようになって楽想を惹起できなくなります。分かったようで、よく分からない説明でスマソ。

 音楽に関しては、楽しい曲とか悲しい曲など感情に結び付いた曲がありますが、これが先天的なものか、はたまた文化的、経験的なものかは分かりまへん。匂いなどか類推すると多分後者ですね。好きな匂い、嫌いな臭いは結構経験に左右されますから。でも、音も匂いもその感情との結びつきの一部は、先天的に刷り込まれている可能性はあります。ジャン