7月1日(月)文月なり。思考上ならどんな実験もでけるんだい。

  靄曇りときどき細雨しょぼしょぼ。21℃~24℃、97%。湿度が殆ど100%なので水分が蒸発せずジメジメみじめ。洗濯物が乾きませーん。ザンネン

 もう半年経ったのか、まだ半年しか経ってないのか、それが問題だっ!

 

 

 

 知識は経験に勝るのか:

 例えば「メアリーの部屋」という思考実験があって、白黒映画のような世界の中であらゆる知識を身に着けたメアリーさんがいたとする。彼女は、あらゆる生物学・物理学の知識を身につけていたとしよう。勿論色彩の詳細な知識もだ。だが、ある日総天然色の世界に出て、メアリーは初めて、白黒以外の色を見たとする。

 

 この時、メアリーは新しい知識を学んだだろうか?メアリーが新しい知識を学んだとすれば、主観的な経験であるクオリア(感覚質)の存在を認めることを意味する。なぜなら彼女は全ての科学的な客観的知識を色を見る前に学んでいたからだ。メアリーが色を見ることで新たな知識(クオリア)を得たのだとすれば、それを物理的な事実では記述できないということだ。

 一方、メアリーは実際に色を見て新しい知識を学ばなかったとする。このとき物理学的な事実は経験と一致することになる。たとえば泳ぐことに関して、身体の構造や働き、流体力学などの物理学的知識を身につければ、実際に泳げることと全く同じということになる。こりは極めて我々の経験的事実と反する。つーこたー、いわばクオリアは物理的事実(の記述)の外に実在するということであろうか?

 ヘレン・ケラーさんはいったいどういう風に世界を感じていたんだろうか?と、ときどき考えます。人間は自分の感覚外の世界を感じることができるのだろうか?電界や磁界を感じれる生物の世界像をうっすらとでも想像でけるんか?認識の外部にある物自体(ディング・アン・ジッヒ)にはでっけー壁がそそり立ってます。ザンネン