4月2日(火)超越ってなんだ?

玉虫備忘録:

 晴れのち曇り。2℃~13℃、30%。花粉やや多い。このところの寒さで、花粉の飛散はやや収まった感があります。でも、作られた花粉の量が同じだと、飛散期間が長引くだけなのかな?ちとシムパイですぅ。

 

老年的超越とは:

 こないだの日本幸福学会での議論で思い出したんすが、「老年的超越」つうのがあって、誰でも歳をとると楽観的になるんだって。それでちょっつググってみた。

 「老年的超越(らうねんてきてうゑつ):超高齢になって至るとされる幸福感。老化に伴う各種能力の衰えを否定的に捉えず、現状を肯定し、多幸感を抱くという心理的適応を指す。元は発達理論を拡張し、80歳を超える高齢者の発達段階として提唱された概念であるが、100歳を超える超高齢者を対象とする各種調査により、その傾向を示唆する結果が多く得られている。」 なんだって。

 先日、友人たちと議論になったのは、「ボケ(認知症)」に対する考え方で、ある一派は「周りに対する迷惑が甚大であるから、ボケたくないもんだ」つう考えで、これは保守的な傾向の公共派に多い考え方です。他方、「ボケちまえば、主観的には幸せなんだから、これは自然の摂理として受け入れざるを得ない。」という考えで、個人主義者に多い考え方だすぅ。

 「死」に対する考え方もイロエロとありますが、養老先生は「自分の死は1人称で、死んだら何も認識できないから、生きている内に考えてもしょうがない。3人称の死は単なる統計に過ぎない。一番苦しいのは親しい友人や家族などの2人称の死で、これは堪える。」なんてゆってました。1人称の死って、老年的超越の果てのような気もしますねぇ。

 欲も名誉も生きている限りのことと観ずれば、死んだ後のことは、生まれる前のことと同じで、この世界の価値観からは一線を画しているように思えまふ。これはいわゆる孔子の「七十にして従心」の「心の欲する所に従えども矩(のり)をこえず(自分の思うがままに行なっても、道から外れない)。」と同じ心境ではなかろうか?

 ともあれ、生まれ、成長し、成熟して、枯れていく、という自然の輪廻は、あらゆる生き物に等しくそそがれている基本法則なんであーる♪ジャン