3月20日(水)国際幸福デーなり。最悪想定を忌避する国民性とは。

玉虫備忘録:

 薄雲の多い晴れ。9℃~22℃、26%。5月上旬の温かさで、花粉多し。標準木の桜開花は4輪で、開花宣言は明日に持ち越し。

 落車による左手、左足の擦り傷と、左腿と左脇、右上腕に打撲痛が残るも、幸い大事に至らず、回復基調。えがったっす。

 

立ち読みシリーズ:悪い事態を想定したくない病とは。

 AELAを立ち読みす。冒頭エッセーにて内田樹氏いわく、原発事故とその後の原発再開の動きに対して、「日本は、最悪を予想して予め対策を立てるのが、国民性としてできない」と主張す。最悪の事態を想定すること自体が「敗北主義」として忌避されるのだと。だから、事前になんら対策が検討されず、実際に悪いケースが発生した時には破滅的な結果を迎えるんだと。

 前大戦中もおんなじで、負ける場合を想定してなかったから、史上最悪の敗戦を喫してしまったんだ。悪いことを言ったり考えたりするだけで、悪いことを呼び寄せるという言霊信仰は確かにありますね。精神的には良いことばっかし考えてる楽天主義は、確かに安定を齎します。しかし政治や国家運営では、想定が多いほど見えない未来に対する保険(リスクヘッジ?)になることは確かです。

 今で言えば、少子高齢化で経済は縮小均衡せざるを得ないのに、与野党、産業界、官僚を含めて成長、成長!としか言わないことが、これに当たるでしょう。ま、国民性だから仕様がないか?と、諦めが早いのも国民性の一つだから、ほんとに仕様がないんですぅ。

 そー言えばドイツにも、「壁に悪魔を描くと、それはやってくる(悪いことを言ったり書いたりすると、その悪いことが起きてしまう)。」という諺があるから、日本に似た国民性なのかもね?ジャン