玉虫備忘録:
朝のうち雨、のち晴れ。9℃~18℃、49%。花粉やや多い。歯科の予防検診、虫歯予備軍が1つ見つかりました。一生懸命磨いてるんだけどね。ザンネン
今日は8年目の3.11です。大学ならもう2回卒業してます(真面目にやってれば)。でも未だに仮設暮らしの方が大勢おります。トラウマは忘れても、社会システムの欠陥は忘れないで下さい。
立ち読みシリーズ:「ありがとうもごめんなさいもいらない森の民」(奥野克己)
ボルネオの山奥にピタン族ってのがおってね。それでね、彼らはかなーり原始的な狩猟採集生活をしてるんだけど、鬱なんかいなくてしやわせそうに見えるんだって。なぜかっちゅーと、屁理屈がないから。現在だけに生きてるから。原因も結果もなくて、それ故意味も理由もなくて、詮索もないと。
そもそも贈与関係の負い目(負債)も無いから、感謝も謝罪もない。だからこういう語彙(ありがとう)もありません。罪という概念もないから、「ごめんなさい」という言葉もない。人のものを使っても、それを毀しても、それは自然なことなので、謝らない。理由を詮索しないんですね。
これはどこから来るのか?それは自然との関わり合いの中から生まれます。自然はイロエロな恵み(獲物や果物など)をもたらしてくれるが、川の氾濫や大噴火、雷などの災害も齎します。恵みもあれば災害もある。つまり行って来いで、感謝も謝罪もゼロに帰すんだすぅ。ま、社会生活ができる前、倫理以前の世界の話ですが、現代社会の倫理規範を超越した、平穏な(食うのは難しいが、心の中は平穏という意味で)社会があるということは、考え過ぎる現代人に一風の清々しさを与えてくれまふ。ゾヨゾヨ