8月2日(木)大雨時行(夕立が時々降るころ)、憲法の話し。

 薄らと快晴!夕方雲出る。27℃〜37℃、41%。今日も猛暑っしょ。プールだん。





 憲法が変わるかもしれない社会とは:

 戦後70年も経てば、こういう話しは出てくるでしょうね。今日は私淑している高橋源ちゃんと、憲法学者である長谷部恭男さんが憲法を解説してくれるというんで、神保町まで進出す。三省堂の裏の東京堂ホールつうとこですぅ。イロエロと目からウロコが落ちる内容ではあったが、帰ってきたら全部忘れてるんすよ。あまりにも暑かったせいかな?こりはカミュ的感慨。

 一つ思い出したが、「法律つうのは常識、良識に基ずくもんで、突飛なやつはダメダメYOー!」つうところかな?それに法律ってのは「道具」なんだって。上手く使いまわさねば、その価値を発揮できないと!法律は絶対じゃなくって、上手く使ってこそ価値があると。もともと日常生活ってのは、自分の意志で判断して決断して行動するもんですが、法律はこうあるべしって強制ですからね。余程便利じゃなかったら、使う意味なーし!ってことかな?本件はもう少し熟成させてから、また書くかも知れない。どもども。



 多様性ってのは当たり前の価値ではナインですぅ:

 多様性ってのは、ある面ではてんでんばらばらってことですから、秩序維持から見たらダメダメYO−!ってことになります。多様性の価値をホントに意味あるものにするには、なぜ多様性が大切かを当然のものとせず、得失を含めて真に理解する必要があります。個々の事例を狭く見れば、多様性ってのは失のほうが多いように見えます。しかし多様性の最大の特徴は、ロバストネス(系の頑健性?)てことになりますかねぇ。これは表面的かつ近視眼的に見ても決して分かりません。何しろ最適ってのは、そんなに多くは無いんすから。自然界の本質についての、真の理解が必要とされる所以ですぅ。ども。