5月11日(金)五月晴れ♪

 晴れ。9℃〜22℃、48%。青い空白い雲。半袖でもイイかも?とかテレビがゆってたから、そのトーリにしたら、少し肌寒かった。




 言葉と理解とは:

 人は言語によって理解を共有すると言ふ。他者と共有できるから言語は普遍性を保つとも言ふ。目も見えず耳も聞こえず、荒れてたヘレンケラーが初めて言語を覚えたのは、水の感触と「WATER」と手の平に書かれた触覚との対応であった。そこで初めて他者との交流の道が開かれたのであーる!そして渇いた者が水を求めるように、語彙を増やしていった。触覚で世界と結びついたのである。

 すかす、直接対応が出来ない抽象的な語彙はどのように増やしたのであろうか?これは視聴覚が健常な一般人に関しても疑問が湧くところであーる。イロエロな文脈の多数の例文や、自身の経験、学習、体験などを総合して、自由とか善とか平和とかいう文言を理解するのであろう。万人には万人の経験があるのであるから、これら抽象的言語の理解には当然微妙なズレが生じ得る。このように言語が本質的に持っている脆弱性が、相互理解のカベとなっているのは、容易に想像できるでしょう!ショボーン

 ウィトゲンシュタインの「私的言語」なんて、こんな考察の範疇外ですよね。そもそも、他者との情報伝達の手段にさえなっていないんですから。(アベ氏の積極的平和なんて全く理解できないわだす。)タハハ