1月4日(木)雑で思い込みの烈しい人間って?

 今日も快晴!0℃〜9℃、27%。北の風やや強し。乾燥しちょるで、火の元には注意のことよ。久しぶりにプールだん♪




 今年の抱負:あははは

 本年はおもいっきし「思い込みの人間」になろうと思ってます。今までは、どっちかっつうと「思い込みの人間」には、冷笑的なスタンスだったんすよ。これからは、人間は「思い込みの動物」であーるという認識を潜在的に維持しつつも、思い込んでいる人間を外から冷笑するスタンスを脱しようと思ふ。つまり、例え誰であっても、どんなに気取っても、所詮は思い込みからは逃れられないとしたら、むしろその中に入っちゃって、思いっきり思い込んだ方が須直ではないのか?アウトサイダーを気取るより、インサイダーでその世界を実感した方が、生き物として相応しいのではないのんか?だって今まで連綿と続いてきた生命は、みんなそのように生きてきたんですからぁ♪





 雑とは:お雑煮を食いつつ。

 昭和天皇は雑草という言葉を聞くと、「雑草という草は無い!」と怒ったそうだ(牧野博士の受け売りだという説もあるが)。でも、何にでも名前を付けるのは人間のさが。元々は何の名前もなかったんすねぇ。「雑」というのは、多様性(ダイバーシティ)にも通じます。

 雑誌とか雑学、雑談、雑用、雑木林、雑貨店、などなど「純」の対極で、いかにも庶民的な逞しさがありますね♪ つうことで「雑」は現代の中枢的価値観を表している言葉だと思うとるんですぅ。ども。

 「雑」とは、カオスとか複雑系とかの現代科学の中心的課題にも通じます。個別具体のリアルから、次々といらないものを削ぎ落して、純粋な(経験によらない?)ものを露わにした仮想の美しさよりも、ごったごたの現実を直視する位置にまで、ようやくたどり着いた現代科学とは。でもそれを扱えるのは、AI(人工知能)か芸術か?・・・「ちみの議論はあまりにも雑である!」つう非難には、あえて反論いたしません。なぜなら、わだすは根っから「雑」な人なんすからねィ。雑をそのまんま受け入れるのか、はたまた整理整頓したいのかっ!は、生来の性格に起因する事どもですから、本人には如何とも致し難いんだすぅ。ども。

 あの人は極めて人間的であーる♪・・・ってのは、果たして、褒め言葉なのか?はたまた貶し言葉なのか?・・・すべての毀誉褒貶には、二重性があるんであーるっ!どもども。