11月8日(水)山茶始開、ツバキの花が咲き始めるころ。

 午前中細雨残るも、午後には雨上がる。14℃〜18℃、71%。



 自分語り:来し方を振り返って。

 自分の記憶が遡れるのは、いったいどのあたりまでなんだろうか?

3歳頃に、水たまりを見ながら、そこに写っている空を無限の下方と思いつつ、来し方行く末を感じた思いはある。自分とは何か?と思った始まりであろうか?あまり良い感じではなかった。いやむしろ、ぞっとするような嫌な感じであったという気がします。自我の目覚めというのは、不幸な事なのかな?

 その後、空き地で草花が生え、虫たちが跋扈し、やがて季節の衰えでいなくなる、というサイクルが不思議でならなかった。でも、それらに強く引き付けられて、いつも草原で観察していたり、水たまりやどぶを覗いているような子供だったと思う(多分母からの伝言の記憶)。なにしろ生き物たちが大好きだったのです。その頃は虫たちに差別なしっ!ダンゴムシでもげじげじでもゴキブリでもなんでも大好きでした。・・・そのうちにだんだん、鳴き声が綺麗なもの、色が綺麗なもの、形が良いもの、強いものなどに特化していきました。そして今では玉虫になりました。

 言葉を覚えるのは平均以上に、いやダントツに早かったのに、おねしょが5歳位まで収まらなかったと母から聞きました。それに触発されて思い出したのは、祈祷師の場面です。何度もその祈祷師のところに連れていかれて、おまじないを受けました。「なむしょうじょうぎょらい♪なむしょうじょうぎょらい♪」という呪文の繰り返しを思い出します。それでおねしょは収まったといひまふ。不思議ですねィ。心理の下底に何かが刷り込まれたのでしょうか?

 そもそも、睡眠と覚醒を区別するのは無意識下のこと。そこを制御するのも無意識下の心理的圧迫なのでしょうね。そこには、意識上の理屈など通用しません。眠っているときに、身体状況は意識的に制御できはしません。あの無意識下のおまじないによって、わたしのおねしょはピッタシととまったとか。今は亡き母親が、未だにわたしを支配せんとする、懐かしい思い出です。わたしは、母も父も未だに大好きです♪ これだけは、こういう想いをわたしに残してくれたことは、両親に感謝してもしきれません。どもどもども。




 一将功成りて万骨枯る:

 昨夜の深夜番組で「インパール作戦」というのを見た。正に功名心と無責任の固まりのような指導部!一将も功成らずして万骨枯るの惨状でした。でも亡くなったのは軍属とか下級兵士ばかりで、将官や上級兵士の生還率は際立って高かったと。これは南方各地でも全く同じ現象で、帝国陸軍の伝統的悪辣さであろうか?ノブレスオブリージュもなんのその、教養も信念も無く、上位者に同調するだけの、試験だけが良くできた秀才がトップに立った組織の悲劇と言えようか!・・・これってなんか、今の高級官僚にも当てはまるような気がしますね?ドヤドヤ