10月30日(月)精神の解毒、消毒(アンティ・セプティック)とは

 本日天気晴朗なれど風強し!15℃〜19℃、40%。体感温度はかなーり低く、木枯らし1号が発令されましただ。プールだん。

 強風でスモッグが吹き飛ばされた所為か、空気が澄んでます。蒼穹に紙の様な半月が張り付いてました。富士山もくっきりとその雄姿を現す。






 自律性とは:人工知能でも自然知能でも極めて難しい課題。

 自律とは自分で自分を律することであーる!他人から指図されたり、洗脳されたりしてロボットみたいに動かせれるのとは真逆の状態なんですぅ。現代の子供たちや青年ははたしてどっちなんでしょうかっ?偏差値教育や就活常識のおとろしさを感じるこの頃。画一化し他律化する現代のあやふさよ。

 つうことで「人格的自律化」をもう少し詳しく定義すると、
 1.外部からの制御が無いこと。
 2.(主体の)欲求、信念から行動が生み出されること。
となるでしょう。

 近年盛んなAI(人工知能)にこれを当てはめると、1.は比較的良く分かりまふ。外から指示や制御をしないこと。でも、プログラム化されて内部化されたらどーでしょうかっ?プログラムが単に構造を作るだけで、あとの動作は外部からの干渉がないとしたら、これはこれでこの条件はクリアでけるかも。すかす、2.のじぶんがじびんのモチベーションを生み出せるのかっ?つう方はかなーり難しいでやんすね。内心の問題は人間同士でも難しいです。他人が何にモチベートされて行動しているかなんて、正確なところは誰にも分かりません。

 このような主観領域に入り込むと、そこには独我論唯識論の深淵、高−い壁が待っておりまふ。でも、哲学的ゾンビや中国の部屋みたいに、外部からそれらしく見えることを以って、主体性を推測することはできます。この辺までが自他の区別、主観/客観、個と普遍の限界でしょうか。ゲゲゲのキタローさんが用いた相即の原理が日本的には一つの解ではありまふ。「自即他、他即自」、「一即多、多即一」、個別と普遍をそのまま包み込む原理は、環境と個物との関係にも敷衍できます。環境がその中にイロエロな生物(含む人間)を作るが、その生物(含む人間)がまた環境を作っていくんですぅ。


 ちと自律性の話から少し脱線しましたが、2項対立や分別(ものごとを分けて考える)の弊害を乗り越える一つの考えではありますぅ。どもども、喝(かーっつ)!




 そうそう、てけすの「バカ論」つう本を買ってきました。花粉症にも薄めた花粉を鼻に垂らして慣れさせる緩和療法ってのがありまふが、この本も、バカには少し効きそうな気がしました。まだ読んでないですけど、おもすろそう♪