10月24日(火)霜始降(しもはじめてふる)、因みに昨日から二十四節季の「霜降」になりました。

 概ね曇り。14℃〜17℃、54%。風はひんやり。



 意識の志向性として、細部の特徴を詳しく把握する集中型とぼんやり全体を見渡す概観型があるという。往々にして前者はすぐに忘れ去られてしまうが、後者は印象としてよく残ると言われている。いわゆる目撃者は、細部の記憶は確かでないことが多い。何色の服を着ていたとか、どんな靴を履いていたとか。しかし全体の印象とか、どっちへ逃げたとかの大掴みは覚えていることがある。膨大な情報入力から意味ある情報を選択するには、それが効率的だったからであろう。

 近年の情報機器の発達や、高精細なディスプレイ機器の進展で、いまや紙は不要であろう?と論理的には思えますが、未だに紙の書籍や新聞は無くならない。なぜなんだっ? 先般ご紹介した本棚の背表紙写真ぢゃないけど、こりは概観効果ではなかろーか?順番に閲覧する逐次行動ではなくして、一発でその概要を把握でける一覧可能性効果であーる!でもこりは、例えディジタルでも、階層化を駆使して工夫すれば実現可能だと思ふ。すかすそんときの操作性が最後は課題となるんでしょーねィ。ども。







 昨日イグノーベル賞の番組を見てたら、メスが生殖突起(ペニス?)を持ってて、それをオスの体内に挿入して、精子と栄養を吸い取るんだって。世の中、こーでなくちゃいかーん!つう常識はナインですねぇ。因みにこの動物は、チャタテ虫の一種で洞窟に住んでるんだって。むかし動物と植物の間を分裂毎に行き来する「ハテナ」つうユーグレナのような微生物も読んだことがありまふ。知性とは常識の破壊であーる!






 今回の小池百合子さんの悪辣な所は緑(市民派)を装ったところ。もともとその本性である極右全体主義を主張してれば、単に右翼が分裂しただけで済んだはず。それを緑の皮(民進)を被って市民派を分裂させ、小選挙区の自公を利したと。「排除」発言を本人は、「表現が悪かった」などと言い訳してますが、もともと寛容な精神で野党を纏める意志など微塵も無かったと認められます。選挙直前でフリー記者の煽りに乗って、本心を思わず吐露したことは不幸中の幸い。野党は反全体主義で再結集して貰いたいもんです。このときはホントの寛容が絶対に必要になるでしょう!ども。




 (吐露:いつもはまず題名を考えて、そこから展開する形で書いてますが、今日は題名は付けないで書いて見た。ふむ。結果はあんまし変わらないようなキモスる。テヘッ)