1月22日(日)都内の温泉にて沈思黙考す

 白っぽい快晴!2℃〜12℃、51%。昼間は暖か。





 表参道に進出す:

 南青山温泉「清水湯」に浸かった後、青山ブックセンターにて立ち読み。国連大学前では百姓市場(ファーマーズ・マーケット?)が賑やかですぅ。マイセンにてヒレカツサンドを食す。東南アジアから見れば、東京もパリもどきorいぬウィーンorすずめのニューヨーク位にはなれたかなぁ?日本の人口構成を反映してか、若者たちの中にけっこう老年者が多くなったのも近年の傾向だすぅ。ぷっ・・・きょう購入した本たち。「進化論の最前線」(池田清彦)、「怠惰への讃歌」(バートランド・ラッセル)なり。立ち読みした範囲では、どちらも今までの常識を少しはズラしてくれそうな悪寒!タハッ



 ラッセルは論理のみで世界を記述しようとしたが挫折して、しやわせこそに価値があると方向転換した。そして嫉妬を阻害することで不倫なんかを無価値化して、結婚を繰り返したのだすぅ♪そして1日4時間労働を提唱して、人間にとっての最高の価値である「ヒマ」の分配を志向したと。ヒマこそが文明の源泉であり、全ての文化的価値(芸術や学問、、、技術・工芸)の源泉であーる!これを1部の特権階級に占有させてなるものかっ!つう過激思想を広めるに至り、祖国を追い出されて米国に避難したと。仕事とはものの移動(ネットや脳内も含めて?)に杉ないという単純化にて、あんまし価値を認めていません。しかして、何者かになることを拒否して、なにものにも、ならないことを志向したと。何物にもならない人になっちゃうと、これはこれでそーゆー何者かになってしまいますから、これは極めて難しい挑戦ですぅ。これはソクラテス以来の西洋(いやいや東洋も?)の伝統でして、何者かになっちゃうと、そこでジ・エンドなんだすぅ。ま、今の日本の価値観とは対極的ですが、昔の偉人は「何者かになってしまう」ことを極端に恐れておったんじゃィ!ま。死んだ後で「何者」かにされちゃった人は多いですが。


 これは哲学のパラドックスと同じようなもんですね。問いを立て、必死に答えを追い求めるが、仮に答えが出てしまえば、そこで哲学はオワコンになると。ヘーゲルは「哲学を完成させた」と豪語しましたが、そこは完成ではなくして、そこを否定することからまたイロエロな現代哲学が芽生えてきましたのだ。どもども。