こんにちは。ぼけ晴れのちぼけ曇り。ぎりぎり夏日でむし
むし。タイサンボクの真っ白な花が咲いた。
テレビのモニター化に成功。32インチのでっかい画面で
見る動画に迫力あり。200万画素のスーパーファイン液晶だから
PinPでTV画面も同時に見える。明日くるPCは書斎用にして、
これはこのままにしておこう。ウッシッシ
つうわけで、詰まらないことで人はしやわせになれるもん
だ。さて、功利主義の第二弾はJ.S.ミルです。彼は精神的な
快楽主義で人類全体の幸福を追求したイイヒトな坊ちゃんな
のれす。カントの動機主義とベンサムの結果主義の中間を取
るプロセス重視主義と言ってもイイかも。
どっかの総長が卒業式で訓示を垂れた、「満足した豚より
痩せたソクラテスが望ましい。」っつうのはミルが原典。
富とかの量の幸福よりも、精神的な質の幸福を求めよう!て
なところかな?でも、精神的な充足って人それぞれですから
誰がその幸福決めれんねん?ってなって普遍的な基準にはな
り難いですよね。
しかし、ここに昔からのある基準がありまふ。いわゆる「
イエスの黄金律」れすね。「おのれの欲するところを隣人に
ほどこし、おのれのごとく隣人を愛せよ!」ふ〜む、こう言
う誰にでも分る教えはまた、誰にもでけないことが多いだす。
「おのれの欲するところ」つうのも人それぞれだしね。シ
ニカルに反論すれば、「漏れは死みたいんだから人を頃す。」
なんて奴もいないとは限らない。また、自分が嫌いでたまら
ない人は隣人も嫌いになるのだろうか?また、人の為とか自
分の将来の為とかで、心理的に充足した苦痛、苦行ってある
よね。人間って結構複雑なものですから、そんな簡単に普遍
化できん、ということでしょうか。ともあれ自他からもっと
論を進めて「人類全体の幸福を求めて!」なんて具体性のな
い基準にすれば、すこしは基準たりえるかな。いずれにしろ
ミルの功利主義は功利主義としては破綻してしるような希ガ
ス。でもミルはイイ人のような気モス。
それに、「人が望んでいるものが、人間にとって望ましい
ものなのだ。」という命題は倫理的には正しくない。「何を
望んでいるのか」という事実判断と、「何が望ましいのか」
という価値判断(当為)とは必ずしも一致しないからである。
ともあれ、ブッシツ的な利益や肉体的な快楽に傾きがち
だった功利主義に、精神的な喜びや献身、自己犠牲を持ち込
んだミルの功利主義は英国国民から一定の支持を得たことは
確かであろうよ。そして結果的にはカントに少し近づいたと。
世の中、何であれこのように波を打ちながら、行きつ戻り
つ進んで行くであろうよ。(玉虫の波行理論より)
ダッハハハ