6月1日(水)へたな考えでも自分で考えること自体が重要なのです(考)


 こんにちは。曇り。夏になった。なのに風はまだ冷たい。
鮎釣りが解禁になったとか。季節は淡々と移いゆくです。













 個人的には、何を信じ何を疑うのかは自由なのですから、
地球は丸くなくて、まっ平らなのだと思っても勝手なのら。
そいつをおいらが薄らバカだと思うのも、これまた自由で
しょ?自由と勝手が蔓延(はびこ)れば、まともな議論が
成り立たないのも、これまた理の当然。プハッ


















 「家貧しくして、孝子あらわる。」とか「ダメな親ほど
子は伸びる。」なんて一見もっともらしいよね。菊次郎と
タケシとか。信じちゃいそ。特にエラソな野郎がTVでもっ
ともらしく述べ奉れば、みんな一発で信じちゃうよね。
でも、今回はエラソな人の言う事がみんなバラバラだから
こういう構図がすっかり明らかにされて、普段からじびん
で考えない人はパニ食ってると。


















 いちいち統計的事実はどーなんだ?とか事を荒立てなく
ても、周囲の事実を冷静に観察すれば親が貧乏でも金持ち
でも同じように孝子もいれば甚六もいます。親がぐーたら
でも立派な人格者でも子供は伸びるのもいれば伸びないの
もいるのは極当然の話し。むしろ立派な人の子供の方に
伸びる子が多いかも知れん。(ま、”伸びる”てのの定義
の問題もありまふが。)















 人は自分を合理化して、辻褄の合うように生きねば害キ
チになっちまいますから、エライ人に頼ってた方が楽は楽
なんす。間違った時もその人の所為にしちゃえばエエです
から。自分の考えで、自分が決断した時に間違えたら、そ
こからまた自分のストーリーを再構成して、また自分に自
信を持てるようになるには、結構苦しい自分語り(騙り?)
を要するんす。でも、そうしないとだんだんじびんが空っぽ
になってしまうかもよ。楽だけど、楽には楽の落とし前って
のがあるからなあ。 ハッ
















 ま、ここで良く効くのが例の「塞翁が馬」でやんすよ。
しやわせもふしやわせも、勝った負けたも、伸びたか縮んだ
かも、繰り返す波のようなもんで、感じ方自体が相対的なん
だと観じれば、ただただ目前の生を精一杯生きようよ♪って
気持ちになれるかもよ。いや、なれないことも多いんすが、
それでも徒に変な価値観に縛られないで済むとは思うんだ。
なにしろ人生は、悲劇・喜劇のように終わり(ヂ・エンド)
ってのが無いからね。芝居のような落ちはなく、幕はいつか
何処かで、突然切って落とされるのさ。それまでは面白可笑
しく、悲惨に苦しんで、時には怒り時には悲しみ、人を愛し
愛され、精一杯に生きようぜい!
















 って、偶には生を肯定してみなくっちゃ、突然もってかれ
ちゃった子供達に申し訳ないような気がして、涙が零れるん
です。最近、人間って花鳥風月なんて進化上なんの役にも立
たないような事物に美しさを感じて、感動する意味が少しは
分った気がするのです。世界がものすごく美しく見えるとき
ってあるよね。それが生命に元来そなわってる生きてる意味
だとおもうんす。ども。

















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