11月12日(月)地始凍(大地が凍り始める頃)、でも今日は暖か。

 朝のうち雨、曇りときどき晴れ。13℃〜19℃、70%。明日から少し冷え込む予報。

 また蕁麻疹でる。皮膚科にいったら、原因はイロエロ有り杉て特定は難しい!だとおおお!対症療法で眠くなるクスリをもろた。昼間は辛いから、寝る前に飲むことにした。少し目もかゆいから秋花粉かも知れんなぁ。トホホ




 世界の成り立ちとは:

 こういふ超越的な問題には解がないから、考えても無駄だっちゅう見解もありまふが、なんか筋道や意味を求めないと生きていけないつうのも人間の性(さが)なんすね。

 だから宗教や神話などの物語りが必要になるんす。全ては神が定めたんだ!とか、全ては物理法則で動かされてんだ!とかいう決定論と、全ては偶然に起きたんだっちゅう非決定論、はたまた世界は必然と偶然が織りなす縄のようなものだという偶有性論、なにを採っても、それは本人次第。

 つうことで、無神論なわだすは「この世界の出来事はすべて偶然に起きたんだい!」つう説を採ることにした。なにしろ宝くじ1等より少ない確率で、この世に誕生したんだから、運はいいはず♪ すべて偶然ゆえ、出来事に意味なんてナインすね。何にでも意味を求める「意味の呪縛」にとらわれた人間には、ちょうど良い生き方かも知れんです。意味から解放されると、真に自由な気持ちになれます。仏教の一切皆空に近いかもしんないですぅ。

 虫オタクの先輩たる池田清彦先生の言動に接して、改めて斯く考えたる次第ですぅ。先生は最近のエッセーにて、「老化には意味がなーい!」とのたもうた。世代交代に老化は必須だとか、集団の維持のため老化が進化的適応なんだ、とかいう妄言は意味の病からきたんだとのご託宣!深く共感しましただ。どもども。





 備忘:無明とは。

 「昨今、世の中や世界の動きを見た時に痛切に思うのは、いじめや差別など、人を排除したり、貶めたりする言動があちらこちらに見られることです。その時に、仏教の「無明」という考え方は使えると思います。無明とは、根拠のない、実態のないものを「ある」と考えるから間違う、という考えで、ある特定の価値観や思考体系に対して無批判に同調する、あるいは飲み込まれる。そうしたものに対して仏教の無明という考え方は、極めて有効な考え方を提供すると確信しています」(南直哉)