1月9日(金)愛と狂信と願望

 引き続き快晴。4℃〜10℃、40%。夕焼けのグラデーションと黒富士がき・れ・い。






 愛と狂信は紙(神?)一重:

 宗教とは、自己を捨てて全てを神(またはその代理人?)にゆだねる行為だすぅ。自分の利己的な欲望を滅却し、すべてを超越的な絶対者にゆだねて、人々への愛に生きると。一面、これは執着から離れるという、生きる知恵だと思いますです。

 でもこの信仰と狂信との境目は何処にあるのかっ?つうと、そんなものはどこにもないんすねィ。自分をゆだねた教祖様や古い書物には、ひたすら信じる以外に、さしたる根拠はどこにもナインすから。すなわち、宗教には人々を救うという良いところと、争いの種になるという悪いところの両面を常に内包しているものなんす。これれも裏腹?タハハハ



 願望とは:これも裏腹?

 ある老人ホームでの七夕の頃。みんなに短冊を2枚配って、願い事を書いてもらいましたとさ。それを学者さんが分析したらば、その一枚には、もうこの世には飽きました(ex.「早くしみたい」みたいな)つうのと、もう一枚には、もっとイイ思いをしたい(ex.「宝くじが当たりますように♪」みたいな)つうのの二通りが書いてあったとか。ぷ  なるほろ、人のココロつうのは簡単にスッパリと割り切れるものではナインだすな。