1月30日(月)鶏始乳。バランスのとり方は才能ですか?

 少し靄かかった晴れ、3時頃から雲出る、夕方から曇り。-0.7℃~10.0℃、33%。2000歩。昼間はようやく10℃を回復す♪。

 

 自己中とは:

 自分中心の範疇を超えて自分中毒の領域にまで達している人々をよく見かけます。この世界には自分しか価値がないと固く信じている風情!自分以外はすべて手段として扱います。

 ま、生物には元々自己保存の本能がありますから、これはある程度は止むを得ません。がっ、集団生活が基本の人間社会にとって、これ(自己中)が嵩じると社会に害悪を齎します。「自分さえ良ければいいんだい!」、「自国さえ良ければいいんだい!」とすれば万人の万人に対する抗争、万国の万国に対する闘いが生じてしまいます。

 これが人類自滅への道であることは、少しでも脳みそがある人々には自明なことですよね?最近の日本、世界の各国は自己中杉やしませんか?

 ではどれくらい他人や他国に配慮すればいいんでしょうか?これが分かってれば、喧嘩や戦争は起きません。かな?・・・そもそも正解を求めること自体が無理筋かもしれませんね?トホホノホ

 

 

 

1月29日(日)カラオケ&キャバクラ考。

 今日も白っぽい快晴!-1.6℃~8.8℃、30%。2200歩。朝夕富士山が良く見えます。夕焼けのグラデーションがとても綺麗です♪

 

 歌って踊って♪

 歌と踊りは人類の本性に近いところにあると思いまふ。どんな民族でも歌と踊りがないものはあーりまへん。歌と踊りは集団の維持に必須のアイテムだと考えまふ。雪と氷だらけの極北の民族でも歌や踊りで捕鯨などの漁の伝承をしてきますただ。南洋の民族もドラム叩いてすぐに踊り出しまふ♪密林の民族も砂漠の民族も歌と踊りが大好きだっちゅうところに例外はあーりまへん。人類にとって歌と踊りは人生や生活そのものなんすね。

 すかす現代日本の都会に生きる人々には、歌や踊りが次第に少なくなってきますただ。盆踊りも少ないし、歌声喫茶店も無くなったしね。集団で歌ったり踊ったりする習慣が極端に少なくなりまひた。そうそう5月のメーデーでは労働者たちが労働歌を歌いながら練り歩いていたことも、今は昔し。これでは人類の本性からかなーり乖離してしまうは必定!

 ってなことで都会の片隅で友人が集まってカラオケで歌ったり、キャバ蔵でホステスやホストと踊ったりしてるんすね。太古の歌や踊りに比べては、かなーり貧弱な余興ではありますが、ま無いよりは増しといったところかな?ジャンジャン

 

 

 

1月28日(土)旧七草。「かの国でわ」それが常識!とは。

 白っぽい晴れ、夕方から少し雲出る。0.4℃~8.3℃、22%。3100歩。北西風やや強し。

 

 出羽守とは:

 元々は官位であったが後に自称他称するあだ名みたいなもの(武家官位)になった。実名を言うのが禁忌とされたから官位で呼ぶのが習慣化されたのですぅ。「出羽殿」「安房殿」とか。

 中でも出羽守はその呼称が現代まで引きつがれ、外国かぶれの異称とされる。元々の出羽守は出羽が領地であった最上氏だったが、武家官位では堀田出羽守。坂崎出羽守、柳沢出羽守が著名である。

 現代でも海外に行ってそこの文化・習俗にかぶれた人が、「~でわ」などと多言して顰蹙を買う事例を揶揄して「出羽守だね~」と呼ばれまふ。なにしろ日本には無い出来事ばっかしだから、すっかり心酔してしまうんすね。アリャリャ?

 こりは文化間の情報伝達としていい面は多々ありまふが、部分的につまみ食いすると害になることも多いですぅ。先般取り上げた「成果主義」なんてのもその一つです。確かにアメリカのような雇用流動性が大きな社会では、成績査定する側と査定される側の労働市場における均衡があるので変な査定をされたらその組織を去って、より高評価してくれるところに転職すると言う道があります。

 雇用流動性が無いまま徒にアメリカでは大成功しているなどとして、軽はずみに導入しても成果の上がらない成果主義になってしまうんすよ。こりはあらゆる事例に共通した弊害です。導入するのなら部分ではなくして文化習俗全体として持ち込まないとならんのだすぅ。次善の策としては、全体の整合性を考えながらその国に適したモディファイを盛り込まなくてはなりません。

 ビジネスモデルばかりではなく、文化や芸術、翻訳などあらゆる分野で、導入に際しては全体と部分という見地が必要になるでしょう。ども。

 

 

1月27日(金)ナーンセンス!

 概ね曇り、午前中少し陽射し、夜に微雨。1.5℃~6.6℃、42%。依然としてさぶし!

 ややこしい仕事で終日呻吟す。ちかりたー!

 

 

 意味とは:無意味なり。

 意味と言うのは人間しか考えないんすね。人間以外の動物は意味なんて考えません。ということは言語取得に関わる事項が意味なんでしょうね。人間はなんでもかんでも意味を考え、意味を付与してしまいまふ。

 ほんの少し突き詰めると大抵の事項は意味を喪失します。生きる意味なんて典型的ですね。仕事でも遊びでも何にもしなくても、何の為かを遡ると数ステップでその意味を失います。最終的には地球も太陽も無くなるし、個人もしみます。

 スポーツも芸術もゲームも農業も工業も商業もサービス業も政治も行政も人間が退屈せずに寿命を全うするための手段ですから、死がその生を限定しまふ。社会の為、子孫の為と言っても永遠の宇宙時間から見れば、人類自体が束の間の寿命しかありまへん。

 究極的な意味は神が死んだら一緒に無くなってしもたんだすぅ。だから無神論はバカの愚考で、よりよく生きるにはどんな形でも神が必要なんすね。カルトが無くならない本質的な理由です。ジャーン

 

 

1月26日(木)べたに最近の感想を書いてみた。

 寒晴れ、朝夕少し雲出る。-3.4℃~8.5℃、36%。2300歩。朝は氷点下だったが陽が射して気温上る。でも10℃に届かず。ブルブル

 イロエロとやることが重なって余裕を無くす。1月末締め切りの仕事がほとんど捗っていません。ま、最後は徹夜でってほど若くはないからどないしょ?

 

 

 野鳥とは:

 人に飼われていない鳥はみんな野鳥なんすね。スズメやハト、カラスも野鳥だからみんな虐めてはだめですよ。ホント餌をあげるのも駄目なんス。野生を喪失してしまうから。それに糞や鳴き声などで周辺住民にも迷惑が掛かります。でもハトに豆あげたりスズメにパンくずあげたりする人が絶えません。日比谷公園のレストランではスズメが人の肩に留まったりして餌をねだってます。ハトやカラスも食事カスやゴミをあさって人間社会と共存してまふ。わだすは一応日本野鳥の会東京ってのに加盟してますが、活動は殆どしてません。ときどきパンフレットなどが送られてくるくらいの関係です。でも、さむぽの時は小型の双眼鏡は持参して野鳥を眺めます。最近凝ってるのはアオサギのぎょえちゃんの観察です。夜に運河の水門辺りに行くとよくいるんすね。飛ぶときに「ぎょえー!」とでっかい声で鳴くから「ぎょえ」と名付けました。ある夜、しばらく観察していたら水門の煌々たる照明で、小魚が浮かび上ってくるのを狙ってましただ、何回か狙ってようやく捕れると。一晩中やってたら結構捕れるかもしれません。その内小型ボートに乗った人間様がルアーフィッシングを始めて、ぎょえちゃんは来なくなりました。野鳥の数少ない餌場まで荒らさなくてもいいのにね。水辺にはカワウとかカモメ、渡り鳥のカモ類がたくさんやって来ます。ムクドリヒヨドリも結構見掛けますね。大きな公園に行くと20種以上の野鳥を視認できます。都会の野生哺乳類はほとんど駆逐されちゃいましたが、野鳥はけっこうしぶとく残ってます。都会の野鳥がいなくなったら、人類も覚悟を決めた方がいいでしょう。ジャンジャン

 

1月25日(水)水沢腹堅。評価するより仕事をしよう!

 晴れ時々曇り。-2.9℃~3.7℃、21%。5200歩。雪国や西国を襲った十年に一度の大寒波のおこぼれがようやく東京にも到達した。ベランダに干してたタオルが凍ってますた。

 

 

 日本経済の長期低迷の一因とは:

 昭和末期から平成の前半くらいまでは成果主義とか成績評価とかが流行ってまして、大半の組織がそれに染まってました。一見それは組織の業績を挙げる秘策のように思われてますただ。すかす、それが日本の長期低迷の走りだったとはだーれも気が付きませんでした。

 成績評価というのの初期では、管理職は真面目に各員の業績を評価して呻吟してましたが、それを本人にもフィードバックする時点で日よってしまい、みんながいい方向に成績を付けるようになって評価の意味がなくなってしもたんですぅ。

 それでトップの指示により各部門はその中で相対評価をするようになりまひた。そーすると組織全員ががむばって大きな業績を挙げたとしても、組織内の相対評価だから成績を悪く付けられる者もでてきます。その次には組織内で上手く立ち回って、よいしょや胡麻すりで成績を上げる者まででてきまふ。

 んで、どんどんモチベーションが低下して、組織のアウトプットも低下すると。こんな具合で日本全体の生産性も上がらず、長期低落傾向を描くに至った。と邪推した次第ですが、あながち的外れではないと確信してまふ。教育現場での偏差値教育と偏差値入試とも相まって、大人たちだけでなく子供たちをも巻き込んだ相対評価の蟻地獄は現在もまだ続いて居りまふ。

 コップの中での足の引っ張り合いで、世界に伍して行けるとはとても思えませんね。諸君はどーですじゃろ?ん?成績がえがったから関係ねー!ですと。ぶわっかもーん!そりが相対評価の最大の害悪なんじゃい。トホホノホ

 

 

1月24日(火)真冬のパーチーに参加。

 曇りのち晴れのち曇り。朝夕少し寒雨。0.7℃~11.8℃、35%。2500歩。夜に入って北西風極めて強し!雪にはならなかった模様。

 

 会食とは:

 パーチーのことであーる。3年ぶりに20人を超えるパーチーに出席する。また楽しからずや。シャンペンから高級ワインからブランデー、大吟醸の冷までしっちゃかめっちゃかに飲んでたら、もうベロンベロンですぅ。一応主催者は「会話の時はマスクして、飲食時だけマスクを外してくらはい!」なんて尾身しぐさを推奨していましたが、30分もしたらほとんど全員がマスク外してますただ。アルコールによる脱抑制とは斯くもおっそろすいものなんす。

 むかし海外で知り合った人たちのパーチーですから、まずは想い出話しに花が咲きます。欧米中近東、インド、中国、南米などほとんど世界各地の駐在者ですね。それから何と言ってもかだらの話しになりまふ。やはし多いのが膝肩腰などの間接痛が多くて、四十肩五十肩もなんのその脊椎ヘルニアや股関節などの手術成功の話しも多いです。ま、パーチーに出て来れるんですから、みんな手術が成功した話しばっかしですぅ。

 亡くなった方もいて、「あんなに元気だったのにね。」なんて惜しまれてました。元気だったからエネルギーが尽きたのか、元気だったから早く亡くなるのが印象に残るのかは、わっかりませーん。スポーツやってるのが元気なのかっつうとそーでもない。足腰痛めて、参加できない人も多いですぅ。

 雪が降りそうな予報もあったので、途中でフレンチイグジット(会合が盛り上がっているときに、ひっそりとその場から消えること)しますただ。雪は降らなかったが強風で、枯れ枝なんかも飛んできて少し怖かったですぅ。ともあれ無事に帰宅して、斯く記す也。うぃ~、ひっく♪