7月29日(水)玄米と味噌と少しの野菜があれば生きてける?

 ほとんど曇り。22℃~26℃、77%。11300歩。極めてすずすい散歩日和。

 

 不況の足音:

 イロエロなところに不穏な空気が充満してきましたよっと。不機嫌なおじさんやおばさんを良く見かけるようにんりました。イベントやってる知人とか音楽やってる友人とかも悲鳴を上げてます。たぶん1/3くらいしかお客を入れないと赤字なんだろうな。

 影響を受ける業界は殆どに渡るのでしょうが、特に輸送(鉄道、航空、船舶)や観光・宿泊、さらに外食やデパート、レジャー、自動車の影響は大きいでしょう。そこからチェーンを遡っていも蔓式に負の影響が拡散します。病院なんかも受診が自粛されて厳しいところが出てきました。

 少ないですがコロナでいい方に向いたのもありまふ。Eコマースとかデリバリー、スーパーやコンビニ、医療器具や製薬、薬局など、IT関係は全般に好調です。

 これらは企業レベルですが、働く人たちは立場が弱い人から影響が出てきます。パートとか派遣とか学生のアルバイトも厳しそうです。とくに海外から働きに来た人は国にも帰れず困っています。それに送金を待っている国に残った家族も困ってます。さらに送金が外貨収入に大きな割合を占める途上国も困ってます。というように負の連鎖は限りなし。どこかでこれを正の連鎖に変えなければなりません。国際協調と政治の力が今こそ期待される時はないでしょう。しかるに自分の事しか考えない政治家が世界各国で跋扈しちょります。アッジャー ドナイシテクレハリマンネン!

 あっ、派遣の品格が始まってしもたです・・・

7月28日(火)知識偏重に物申す。

 今日も曇り、ときおり陽射し、たまにぱらぱら。24℃~31℃、70%。完璧望んでも仕方ないから、自分で勝手に梅雨明け宣言♪梅雨が明けたって夕立はあるし雷だって鳴りまふ。

 

 知識偏重の風潮とは:

 ビーテレが落ち目のふんどしになってくると、流行るものの一つにクイズ番組があります。人よりも早く正確に正解を答えれる者が優勝します。番組が安易に安く作れるところが魅力なのかな?散歩、旅番組と料理、グルメ番組とで御三家を構成しておりまふ。あっ、それにクイズ番組は特に流れを気にしないからCMを入れやすいつうこともあるのかな?最近やたらと番宣が増えたのも気になります。スポンサーの番組提供が減ってるからかな?

 ともあれクイズ番組は、世の中には必ず正解があるという幻を振りまくことには貢献しております。これも偏に偏差値社会の影響でしょうか。人間社会の実態は、正解なんてのは滅多に無いし、あったとしてもローカルで一時的な正解にすぎません。知識の量と、考え方ややり方のどちらが大切かっ?ちゅうと、これは比較する問題ではなくして、どちらも大切であるとしか言えまへん。

 その中においてどちらがより根源的かを問うならば、そこはやっぱし方法論(考え方ややり方)と言わざるを得ませんね。特に近年はPC,スマフォの普及する中において知識の取得が比較的容易になったから、全てを覚えておく必要性が薄れてきました。(とは言え重要なことはできるだけ覚えておいた方が、脳内での連想作業が容易になりまふが。)

 ここで一つの比較事項があって、昔の偉人(例えばアルキメデス)と現代の中学生の科学的知識量を較べてみると、それはもう中坊の方が断然知識が多いですよね。地球が丸いとか生物は進化するとか知ってんですから。でもその考え方はやはしアルキメデスの方が凄いと思うでしょ?何しろ梃の原理とか比重の原理とかをゼロから思いついたんですから。ヘウレーカ!

 だいぶ前に書いたことですが、なぜ古代ギリシャに文明が勃興したかの話しです。当時は中東やエジプトが先進国でギリシャは未だ片田舎。その田舎の青年が大志を抱いてエジプトに留学したと思いねぇ。彼らが大図書館に籠ってひたすら先進文明の膨大な知識を吸収したのか?と思えばさに非ず。彼らは方法論だけを持ち帰ったんですね。そいで膨大な知識に押しつぶされず、その思想が自由に羽ばたけたんですぅ。そこからギリシャ文明@ヘレニズムの華が開いたというわけでやんすよ。

 ま、こりは一例に過ぎませんが、このような例は歴史上枚挙に暇がありまへん。知識には押しつぶされるが、やり方(方法論)には後の発展の余地と自由度があります。で、教育にはどっちがええのん?やはし知識偏重詰め込み型よりか、参加型、体験型、探求型、共同型のアクティブラーニングに分があるように思えますぅ。どやろがい?せやろがい?

 

 

 

 

7月27日(月)土潤溽暑、土の湿り気が蒸発し蒸し暑い頃。上弦。いかーん!と?

 概ね曇り、通り雨、ときおり陽射し。24℃~31℃、71%。南方の湿気が北方の梅雨前線に吸い込まれて蒸し蒸し。

 

 そーはいカント申します:

 カント倫理学の肝はその定言命法で述べられていますが、こりは一切の条件を付けずに行う基準なんであーる。条件をイロエロ付ける(仮言命法)と基準に穴が開いてしまうからです。「嘘ついちゃいかーん」つうのも条件なしです。条件なしってのも結構厳しいものです。人間は「こんなばやいならええでしょ」とかついつい条件を付けがちなんす。するとそこから例外がいっぱい発生して、最後は骨抜きになってしまいます。

 このような基準の中に「人を手段として扱っちゃいかーん!(キッパリ)」つうのもありまふ。奴隷とかの見え見えなものばかりじゃなくして、自由人の間でも人をついつい手段として扱うことがままあります。あろうことか人間は自分さえも手段として扱うことが多いです。

 特に現代社会ではほとんどの人は役に立つ人材(素材としての人間)として扱われます。それで極端なクソ野郎は、役に立たない人を要らない者として排除に掛かります。これが有名なナチスの優生論ですね。元々この世に生を受けたものはみな平等で、愛し愛され、迷惑を掛けたり掛けられたり、人に何かをしてあげたりあげられたり、何にもしなくてもいいし何かをしてもいいし、要するに役に立つというのはイロエロあるんです。お金を稼ぐことが役に立つんじゃなくって、ただそこにいるだけでもう既に役に立ってることもあると。これが人間社会の相互の繋がり(縁?)ってなもんや三度笠

 人を手段として扱う最悪のケースが兵隊です。企業戦士も単なる手段なんすね。悲しいけど。

7月26日(日)かだらを動かさないと気分も沈みます。ドヨーン

 概ね曇り、ときどき雨、ときどき陽射し。24℃~31℃、68%。曇りがちだが真夏日。お肌がべとべと背中がかゆい。しゃわーしゃわー♪

 

 今日もZOOMミーチング:

 人形町の旦那と幹事長と3人でオンラインミーティングを実施した。8月暑気払い会合の事前打ち合わせです。うな重かすき焼きか?それが問題だ。たぶんGoToが難しい人もいるから、オンライン飲み会も兼ねて実施することにした。わだすのZOOMヴァージョンが古いらしくてギャラリーモード(全員が分割画面に映る)が出来ないので、もう少し研究を要する。でも、電車に乗らないでミーチングがでけるから楽だ。

 

 生きる!

 黒澤明の映画に「生きる」というのがあるけど、生きるって本当にむずかしいと思ふ。単に生活するのなら簡単なんすが、生きている実感ってのがあんましありまへん。身体的レベルなら、美味しいものを食べるとか美しい音楽を聴くとか楽しいことをするとかイロエロありますが、心が震える感動とか難題が分かったという解放感とか苦悩を通して歓喜へとかがないと魂が萎んでしまいます。ほんとに生きるってむずかすい。

 そもそも生命ってなんだ?こころってなんだ?意識ってなんだ?でもそれは永遠の問いかも知れません。だってその答えがすべて明らかになったら、世界が薄べったくなってしまうような気がしませんか。分かるというのは制御できると等価ですから。知らぬがホトケ、分からぬが華かもね。ジャン

 

 

7月25日(土)屁理屈の系譜。

 曇りのち時々雨。24℃~27℃、90%。普通に夏日だが湿気が多く、蒸し蒸し。

 

 可謬主義とは:なんで?どーして?の連鎖。

 平たく言えば、「間違えてもええよ」つうようなもんだす。「知識が常に確実であることは不可能だから、知識についてのあらゆる主張は原理的に誤る可能性がある」と主張する。ただし、謝る可能性があるからといって知識を捨て去る(懐疑論)ことは否定する。誤りはそれを認識することによりどんどん修正することができる、と前向きにとらえるのである。そして実用的には、「それぞれは誤りうるけど、みんなで原理的に考えて行ったら同じようになるよね?」という方法論的信念により、可謬主義でも共有できる知識は得られると主張する。ま、極めて素敵にフレキシブルですから、おらは大好きさ。

 

 関連してミュンヒハウゼンのトリレンマ

 これはほら吹き男爵(ミュンヒハウゼン男爵)の三刀論法といい、三つを同時に満たすことができなディレンマをさす。1.根拠を次々に求める無限後退、2.行きついた公理や原理自体には根拠がない、3.根拠がどこかで最初のものに戻るとループを形成し循環論法に陥り無効、つうように根拠による基礎づけは困難である。どこかで形而上学的超越者(例えば神)に根拠を求めればそれは収束するが、最早宗教である。

 

7月24日(金)スポーツの日。地蔵盆。

 曇り、たまにぱらぱら。22℃~27℃、85%。6600歩。

 腰すこし良くなる。街は人出多し。

 

 スポーツの日とは:

 もともとは10月第2月曜日の体育の日だったですが、ことしはオリンピックの開会式に合わせて特別に7月24日に変更されました。ついでに海の日と山の日も開会式、閉会式前後に移されましたが、コービッドの影響でエア開会式になってしもたですよ。一寸先は闇というのは政界や経済、人生だけでなくスポーツイベントなどあらゆる事象に適用されるっちゅうことは、もう一度肝に銘じたほうがええようだす。当該変更は2018年6月に可決成立したことから、「再来年のことを言うと鬼が笑う」と諺も変更されたそーです(嘘)。でも休日だけは残ってるのも、なにげに虚しさ感が横溢してますねぇ。ん?虚しさがあふれ出るほど盛んだと?ちとニュアンスが奇妙かな???タハハ

 

 ついさっきまでZOOMでチャットをやってましただ。今日は哲学的サロンです。久しぶりにオンラインでも会えたから懐かしかったですぅ。皆お変わりなく元気いっぱいでした。その後ちょっとオンライン飲み会でした♪

 

 追記:そーゆえば来年のスポーツの日や海の日、山の日はどーすんだろうな?一応国民の休日だから法律変えなくちゃならないし、オリンピックの先行きは不透明だし、政府も悩ましいところでしょう。よく効くワクチンが副作用もなく70億人分作れれば問題ないんすが、仮に出来たとしても普通は5年以上掛かるってえから、やはし未だ願望の領域かな?

 

 

7月23日(木)桐始結花。海の日。ポストコロナ社会の憂鬱。

 終日雨、ときどき曇り。22℃~26℃、97%。都コロナ366(どこかで見た数字だと思たら、昨日のオリムピックカウンターだったです)。

 

 リモート社会とは:

 コロナ禍で果たして社会は変わるのか?この半年余りで確かにその兆しは出てきました。テレワークやテレカンファランス、オンライン授業やオンライン講座、リモート飲み会やリモート診断、ネット通販やネットスーパーなどなどはほんの一部ですが、ネットを介して場所には拘らない風潮がじわじわと浸透しています。

 元々ネットの本質は世界に繋がるオープンネスにありますから、ネットセキュリティを強化しないとネット社会は成り立ちません。ここへきてどこぞの国から激しいサイバー攻撃が仕掛けられ、残念ながらネット後進国の我が国はおたおたしちょりもす。セキュリティ分野は矛と盾の矛盾を突いて拡がる無限ループですが、常に最先端の装備(システム、人材、設備)を整えておかないと、大人と子供の相撲になってしまい勝負になりません。

 しかるに我が国では、IT大臣がITを知らない78歳のド素人、一方台湾は38歳の天才プログラマーが大臣をやっちょりもす。これではコロナへの対応も月とスッポン、まったくお話しになりまへん。中国やロシアは何万人規模のサイバー部隊を抱えて鋭意準備に怠り無し。米国や欧州もそれなりに予算を突っ込んで緊迫感を露わにしておるのに、我が国は未だにファックスと電卓でコロナ統計を1日遅れで計算している残念感!

 このままではリモート社会どころかリアル社会でも世界の競争から取り残されます。これも偏に政治家や行政官、企業人のおつむが固くて古いからです。1.7兆円も掛けてやることはコロナ拡大下の移動奨励策のみとは。なんだか絶望的な気分ですぅ。この国のトップは世界や技術の動静を見て先手を打つどころか、永田町、霞が関界隈でコップの中の争い(蝸牛角上の争い)を繰り広げるのみ。

 シャープも台湾企業に経営をゆだねたくらいですから、このさい日本の行政組織も台湾からの若い血を大幅に導入したらいいのではなかろーか?米国の先端企業経営陣にも台湾から大勢人材を送り込んでいるしね(藤井7段も尊敬するAMDのリサ・スーさんとか)。中国の経済躍進にも台湾系企業の大陸進出が大きく貢献しているのは良く知られた事実です。政官界だけではなくして、実業界も羊のような日本のサラリーマン社長には、この厳しいオンライン社会の荒波を乗り切ることは難しそうですね。ザンネン