7月22日(水)大暑、暑気が極みに達する頃。大所高所から眺められない日本とは。

 概ね曇りときどき雨、ちょびっと陽射し。25℃~30℃、76%。風呂場の床を掃除してたら腰を痛めた。

 

 GoToが無理やり始まりました:

 直接支援をしないで自己責任風に後押しするのは、如何にも新自由主義らしいですね。でも旅行ってのは安全安心してやらないと楽しくないんじゃないのかな?3密を避けて旅行するのが、そもそも旅行の概念に反してます。観光地ってのは旅行して楽しいから人が大勢集まるとこなんですぅ。だから密閉は無いにしても、密集密接は必ずあります。仮にそれが無いとしたら旅行業者は店を開いても儲かりません。それに、密閉も無いとは言えません。いつも野外を観光するとは限らないからです。旅館とかミュージアムとかレストランとかトイレとか人がたくさん集まるとリスクが大きいところはたくさんあります。それでも行くのは台湾みたいに完全に収束してからでもええんでね?日本国民、そんなに焦って何処へ行く。だいたい日本でコロナがまん延したそもそもの始まりは、インバウンド向け旅行業者のインパクトが大きいからと、春節の中国旅行者を押さえなかったからではないんでしょうか?あの頃なら旅行者を完全にストップして、業者にその分を補償しておけば、二桁少ない支援で済んだでしょう。愚者は何度でも同じ失敗を犯すと。

 でもコロナ禍さえ無ければ、見過ごされていたであろう利権構造が次々と明らかにされたのは、なんとも皮肉なことではあります。ぷっ

 

 

7月21日(火)土用丑の日、朔、大潮。言葉はすごいけど、全てじゃない。

 曇りがちな薄晴れ。23℃~29℃、73%。3500歩。久しぶりにウナギのかば焼きを買ってきた。

 新豊洲の辺りに広いバーベキューサイトがあって、若者でけっこう混んでます。野外なので2密ではありますが、その内にマスク外して唾飛ばして大声で騒ぎ始めるのでアルコールが入ると脱抑制になって危ないと思いました。でも、楽しそう♪(湾岸散歩にて)

 

 ことばで現わされるものとは:

 古代ギリシャ語でロゴス(Logos)は言葉、論理、理性など幅広い意味を有していたが、これがラテン語のLogicaに引き継がれ現代の論理学になるのであーる。これに対比されるのがパトス(Pathos)で感覚、感情、共感などを表わす。

 どっちが根源的かというとパトス方面で、これは単に起源が古いと言うだけかもしれない。人間になって発達したものがロゴスだから、こっちの方が人間としてより本質的だという意見もある。

 でも、動物としての本性は動かしがたいものがあるから、理性や論理だけでは人は動かないのである。いや、感情や共感で既に決まっていることを後から理由付けするものがロゴスだと言えるのかも知れない。頭では分かっているのだけれど、身体がついて行かない、などは良く経験するところである。

 つうわけで、世の中には言葉にできないものがたくさんあるんであーる。理屈では分かるんだけど、なんか違和感を感じて納得できないというのは、身体が反応しているんですぅ。これは理屈(ことば)ではなくして、経験(からだ)で学習してるんです。ことばにできないものを習得するというのは時間が掛かります。これは運動や芸術だけでなく、科学技術を含めて人生のあらゆるものごとに適用できます。知識の習得にはそんなに時間が掛からなくても、身体で覚えるのは大変な時間と努力を要するのですぅ。

 そこんとこよろぴく。(玉虫の1万時間の法則より)

 

 AIが代表するものは、Logos領域だけかもしんねえすね。氷山の水面下の膨大な無意識にはことばにできない、ことばにならないものが蠢いているんでやんすよ。人間をシンプルに捉える陥穽がここにあります。ども。

 

 

7月20日(月)天は自らを助けられない者も助ける、と言へり。

 薄晴れときどき薄曇り。23℃~32℃、62%。真夏日!9300歩。あちゅいですぅ。

 

 天は自ら助くる者を助く:諺も時代精神によりそう。

 これは「自助論」(サミュエル・スマイルズ)中の文言ですが、明治の頃の青雲の志にぴったしはまってベストセラーになりました。人に頼らず自らがむばる者には神の恩寵(セレンディピティ?)が下ると。これはこれで立派な心掛けである。フロンティアスピリットのアメリカ開拓団にはまさにピッタシの標語でした。

 すかすこりが新自由主義の自己責任論などに結び付くと、社会で弱い人、障害のある人、幼児や老人、運悪くホームレスになった人などは支援しなくてよいという暴論に結び付きます。格差や無保険を是認するイデオロギーになったり、ひどいのは役に立たない者は要らない論者を後押しして、ファシズムまでもう一歩になったりします。

 このことわざを現代リベラル風に進化させれば、「天は他の人を助ける人を助ける」ではないでしょうか?赤ちゃんでもお爺さんでも役に立たなくても、ただただいてくれるだけでいいんだ♪という人はきっとたくさんいると思うんだ。何のために役に立たなくてはいけないかの原点に返れば、それは他の人にしやわせになってもらいたいからではないでせうか?自分のために役立とうとする人は、我利我利亡者として人類から本性的に嫌われます。

 経済が下降すると自殺者が増えるというのは、自己責任なるイデオロギーの影響が大きいと感じました。すべての人は健康で文化的な生活を営む権利を有する、がっ日本はその権利が守られていない国の一つなんですね。どもども。https://www.nichibenren.or.jp/library/ja/publication/booklet/data/seikatuhogo_qa.pdf

 

7月19日(日)心配だけど安心、安心だけど心配。

 曇りのち晴れ。21℃~29℃、74%。8400歩。久しぶりに晴れました♪

 

 赤信号みんなで渡れば怖くない

 久しぶりに晴れた休日で、人々は堰を切ったように街に出てきました。スーパーも公園も美術館も人大杉!公園には簡易テントが30張りも花が咲いたように拡がり、家族やペアで溢れちょりもす。MOTまで足を延ばすと、そこも既に人大杉で発券カウンターには30人の列ができてますただ。

 まだまだ感染は拡大期だっちゅうのに、みんな知らぬふりの半兵衛です。これもやはりマジョリティに加担していれば安心つうムラビト根性のなせる業にや?感染症に対してでさえ皆で自粛やめれば怖くないとか?こりはもう文化の源流にしてKY(空気を読む)な日本人だって山本七平さんが研究してなかったっけ?日本人はいっつも周りを見回して、場の空気を読みどっちがメジャーか嗅ぎまわり、自分がメジャーになれば安心して何も考えないと。

 みんなが自粛してれば自粛警察まで現れて監視するのに、みんながGoToモードになるとあっという間に、至る所GoToになると。分かりやすいといえば極めて分かりやすい国民性!日ロ戦争に勝てば5千万いけいけでアメリカに負ければ1億総懺悔。ってなわけで、赤信号もみんなで渡れば怖くないと。ハレハレ

 

 今日は混んでたから入らなかったけど、MOT東京都現代美術館)では「おさなごころを、きみに」なんてのが始まってました。大人も子供時代に還れるメディア・アートみたいですから今度平日に行って見ようかと思いました♪ども。

 

 

7月18日(土)ココロのボスはだれそ?

 午前中雨、午後から曇り。19℃~22℃、97%。6100歩。

 マンションの総会があった。椅子の間隔を拡げて窓はすべて全開して密を避ける。風が通るので半袖だとちと寒かった。イロエロと修繕箇所が出ている模様。コロナで今年は懇親会や防災訓練も中止する。

 

 主観の投影:

 ココロのボスってのは赤塚不二夫ちゃんに出てくるキャラクターですが、心の主人公は誰そ?たそかれ(誰そ彼)時は闇が迫って人を判別できない夕暮れ時。 かはたれ(彼は誰)時は夜明け前。優雅なりやまと言葉

 主観というのは自分にとっては自明ですが、他人からみるとあるのかないのか分っかりませーん。だから科学には乗りにくいのですね。なにしろ反証可能性というのが取り辛いのですぅ。主観を調べようとしたとたんにそれは対象になり客体となってしまうんす。そこにはもうヴィヴィッドな感覚はありません。考えたり感じたり感動したりはみんな内側に閉じてしまってるんです。ハレハレ

 そうそう網膜を自分では見えないのと同じかな?鏡を使ったり写真を撮ったりして外部化すれば見えるんですが、自分の網膜を自分で見たり感じたりすることは絶対にできません。視覚として見ている主体(網膜)は見えないんです。でも外部から客体化すれば見えると。自分の心も内観して自分で記述することは出来ます。でも、それが他人と同じなのか?は永遠に分かりません。

 自分の心に現れる現象を先入見なしに記述する現象学的方法も似たようなものですが、それも自分に閉じています。それでは普遍性をどーやって求めるのか?そこで間主観性というのを導入して、準客観的なものにしました。しかし、これは言語に頼るところが多く、言葉で表現できるものにしか間主観性が及ばないのです。ま、それでも普段暮らしている分にはあまり障害にはならないのですが、感覚や美しさや感動をそのまま直接伝えることはできません。だって人の痛みをそのまんま切迫して感じることは永遠にできないんですから。ザンネン

 

 

 

7月17日(金)鷹乃学習(タカの幼鳥が飛び方を覚える頃)。なんかあまり季節感がない七十二候ですた。

 雨ときどき曇り、夜に入り雨強し。18℃~21℃、96%。外出して帰りに濡れる。さぶし。今はもう秋???

 

 アクセルとブレーキ:

 これはかなり高度なテクニックで、ヒール&トゥーとか言うこともあります。高速でのコーナリングで、つま先でブレーキを踏みつつコーナーからの立ち上がりの回転数が落ちないようにかかとでアクセルも吹かします。運転者がヘタッピーだとコースアウトして事故を起こすことが多いですぅ。これまでの運転状況を見るに、果たしてちゃんとコロナをコントロールできるかどうか?まことに疑問に存じます。

 対策が後手後手に回り、あとでいくらお金をつぎ込んでも回復が困難になる悪い例を、戦力の逐次投入と申します。または先憂後楽とは真逆の先楽後憂といってもいいのかな?コロナが再燃している最中にアクセル踏んで一体どうしようってんですかね?まさにはっきり申し上げて、破れかぶれとしか思えません。まさかブラジルやスウェーデンの真似をしているんじゃないでしょうね?

 スペイン風邪の時は日本でも45万人の方が亡くなっていますが、当時の人口比でいうと今では100万人に換算されます。仮に医療崩壊が起きたら現代の医学でも10万人は亡くなるでしょう。大企業に優しく民には冷たい現政権だと、それくらいは既に覚悟しているかもね?票になりそうなところにだけカネをばら撒いてのち、秋口には解散総選挙を打つかもね。メディアが情報押さえて投票率を下げれば、これだけ無茶やっても現状は維持できるかも知れません。ゾワゾワ

 

7月16日(木)後の藪入り。コロナころころ経路なし。

 曇りがちな晴れのち曇り。17℃~25℃、75%。夏日にやや届かず。8500歩。

 歯科にクリーニングに行く。奥歯の外側の磨きがあま~い!と叱られる。ホゲッ

 東京の新規陽性者286人!経路不明者が急速に増えているからこれは危険な兆候ですね。ゾワゾワ

 

 

 揺り戻し?

 コロナ禍によってグローバル化新自由主義の盲点が明らかになりました。国際分業や物流の効率化、最適化は定常状態なら極めて有効です。しかし非定常な緊急事態では余裕がなくなり却って足を引っ張ったりします。定常状態に最適化されているため、変化に追従できず、もの不足をきたします。コロナ禍の場合は、医療機器やマスク、アルコール消毒液、隔離ベッドなどがかなり長い間不足しました。

 これに懲りて自国生産に戻したり安全在庫を増やしたりすると、コストが上がって競争力が落ちることになります。これはこれで産業の衰退を招き経済が下降します。構造的なものですから、この解決を単に民間の企業努力に任せるわけにはいきません。公共として何が必要かのコンセンサスをとって、政府や自治体が社会資本として準備すべきでしょう。

 何ごとにも安易な正解なんつうもんはないんですぅ。だからこの世はおもすろい。みんなで一緒に悩みましょう♪ダハッ